キリストにおけるアイデンティティと私達はみな羊のよう
前回のレポートのテーマが
キリストの内にアイデンティティ(自己の独自性)を見出すことが、自己の価値観や愛されているという意識にどのような影響をもっているか、2~3ページの省察レポートにまとめてください。その結論を支持するための聖句を3つ用いてください。
それに加えて、キリストに自己の独自性を据えることが、平安と愛、受容と安心、そして存在価値(重要性)を見出すために、どのような助けとなるかを聖書的根拠と共に記し、それを教会で用いることのできるトラクトとして1~2ページ分の要約レポートに作成してください。
でした。皆様と分かち合えたらと思います。少々長いトラクトですが、読むのが好きな人なら大丈夫でしょう🕊🌾
キリストにおけるアイデンティティ(自己の独自性)
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
御自分の子をささげるほど。子供の命を人の為にささげるという事は難しい事です。愛する子供なら、なおさら。この世では、自分の子に暴力を振るって殺す人もいれば、捨てる人もいる。そういう人ではなく、心から愛する子供の命をささげる事は苦しい事です。ただささげるだけではなく、ちゃんと理由がある。たくさんの人の命を救う為です。そこに愛があります。
そうでないといけない理由は、人の罪の許しは、御子の前は、その人の経済余裕により、さまざまでした。しかし,子羊はより多くの人の罪の赦しに捧げられていました。御子の捧げ物は時を越えて、全ての人の罪を洗い流せるためだったのです。たった一回の1人で十分でした。
ですから、神ご自身が人になり私達のために来てくれたのです。
私達への愛は、私達を神のかたちに人を造った事からも見る事ができます。
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
創世記 1:27 口語訳
嫌いな人を自分に似せる事をしないでしょう。私達を愛したかったのです。私達も自分がどれだけ可能性がいっぱいあるのかをここで見る事ができます。
私達が想像を絶する事をする事ができます。それを聖書が教えてくれています。
「するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」
マタイによる福音書 17:20 口語訳
また,イエスが水の上で歩く時も教えてくれています。
「するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。 イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。 しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。 イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。」
マタイによる福音書 14:28-31 口語訳
これらは,信仰について話ていますが、神様のかたちの私達には、意志や感情など,たくさんの事ができます。また人を愛する心。そして、私達はイエスが出来たことができるはずです。神様を信頼し、私達を完璧に作って下さった方、神様を信じて、たくさんの事をする事ができます。
「あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、 しかし主を恐れる女はほめたたえられる。」箴言 31:30 口語訳
神は見た目より、心を見ると聖書をとおして、語られます。美しい事がダメなのではなく、それよりも私達の宝は何処にあるか、私達の目が誰を見つめているのか、神様に従っているのか、恐れているのかをみます。彼を求めているのか。
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」
マタイによる福音書 6:26 口語訳
神様は,私達を御使(みつかい)や鳥よりも優れていると言ってくれています。
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」
マタイによる福音書 10:29-31 口語訳
神様にとって,私達は、それほど愛されていて、生かされているかを見る事ができます。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」
ペテロの第一の手紙 2:9 口語訳
これら全ては、神の栄光のためであり、私達を救って,愛された方を褒め称え、それをたくさんの人に伝えるためである。
トラクト
「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」
マタイによる福音書 18:12-14 口語訳
神様は、あなたをその小さい者のように愛している。小さい者とは、大きさでも、凄さでもなく、可愛らしい、愛おしい者のように思って言ってくれています。そんな,あなたを見捨てず,救いたいと願っているのです。
「主はわたしの牧者であって、 わたしには乏しいことがない。 主はわたしを緑の牧場に伏させ、 いこいのみぎわに伴われる。 主はわたしの魂をいきかえらせ、 み名のためにわたしを正しい道に導かれる。 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、 わざわいを恐れません。 あなたがわたしと共におられるからです。 あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、 わたしのこうべに油をそそがれる。 わたしの杯はあふれます。 わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。 わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。」
詩篇 23:1-6 口語訳
神様は、私達を休ませてくれる。安心できる場所,方だと言ってくださっています。苦しみがないとは言っていません。偽りのない方です。
死が訪れるかもしれない。苦しみや危険があるかもしれない。そういう時も共にいてくださると言っています。その存在感は私達に安らぎと苦しみの軽減をあたえます。さらに天に宮を用意し、住まわせてくださると約束されています。
「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。」
ヨハネによる福音書 10:11-16 口語訳
羊は、羊飼いの声を見極める耳の持ち主と言われています。イエス様(神様)を信じる者にその力があると言ってくださっています。彼が私達を知ってくださるからです。彼がいるから
私達は彼の声を見極める事ができるのです。
彼の見張りのなかに失敗はないと言って下さっています。それは,すごい安心ですね。彼のなさる事にたとい,それが幸せであり、苦しみであっても、彼のうちにいれば必ずちゃんと考えられた結果があるのです。
ですから、
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
これが神からの贈り物、恵です。
神様はあなたを待ってくれています。そして、常にあなたをみつけています。彼に話しかけてみましょう。
神様、私はあなたの救いが必要な罪人です。私の知らないところまで、あなただけが分かってくれています。私の罪をお許しください。あなたが私のために命をかけて下さった事を信じ、感謝します。私はあなたを私の心に迎え入れたいです。イエスの御名によってお祈りします。アーメン
イエスを通してでしか神様に辿り着く道はありません。
「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」
テモテへの第一の手紙 2:5 口語訳
「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
神様の豊かな恵と祝福がありますように!