eskerrikasko’s blog

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幕屋とキリスト

幕屋とキリスト

 

幕屋

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幕屋 

英語では、 Tabernacle、ヘブライ語では מִשְׁכַּן、mishkanは聖書に登場する移動式の神殿のようなものでした。会見の天幕とも呼ばれていたりします。ただし、過去の聖書翻訳において、幕屋(ミシュカーン(ヘブライ語版、ドイツ語版))と天幕(オーヘル(ヘブライ語版、英語版))とを明確に区別しているものはあまりなく、それぞれの翻訳間に表記のばらつきが存在します。

 スペイン語の辞書は主に英語から訳されているため、オーヘルが使われています。


ヘブライ語のミシュカーンמִשְׁכַּן、mishkanは「住居」という意味であり、神の住まう所であるとされていまして、後に、ソロモン王が神殿を建設するまでの間、その役割を果たしました。


神様の目的


 神様の目的は、わたし達の中に住むことであった。

これらの始まりが、この幕屋なのである。どういう事かというと、出エジプト記25:8で仰られたように、


「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。」

‭‭出エジプト記‬ ‭25‬:‭8‬ 口語訳‬


 これが神様の御心、目的なのです。


幕屋の呼ばれ方 


 幕屋は聖所ともよばれていて、幕屋はさまざまな呼ばれ方をされている。


新聖所辞典によると、


(1)聖所、ヘブライ語でミクダーシュ(出エジプト記25:8)で使われていて、「取りのける」「神聖にする」という意味の語源、ヘブライ語ではカーダシュをもつ、その名詞形、ヘブライ語でコデシュ(分離していること、神聖であることを表す)は、直接「聖所」を意味する時もあります。(出エジプト記38:24)


「聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。」

‭‭出エジプト記‬ ‭38‬:‭24‬ 口語訳‬


ギリシャ語タ・ハギア(ヘブル書8:2等)

「人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭8‬:‭2‬ 口語訳‬


ギリシャ語 ハギオス(聖なる)の名詞形、使徒言行録6:13では、

「それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。」‭‭使徒行伝‬ ‭6‬:‭13‬ 口語訳‬

この語が神殿を指しており、「聖なる所」と訳されています。


(2)幕屋、ヘブライ語ではミシュカーン 

「すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。」

‭‭出エジプト記‬ ‭25‬:‭9‬ 口語訳‬

 

これの動詞、ヘブライ語でシャカーンは、「とどまる」「天幕を張る」「住む(人が住む、ヘブライ語でヤシャーブではありません。)」などの意味を持つので、神様が地上において、そのようにされる所が幕屋であります。


ギリシャ語へー・スケーネーは、「テント」「仮小屋」「天藤」などの意味を持つこの語は、新約聖書では、ヘプル人への手紙に多く見られる(ヘブル書8:2等)

「人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭8‬:‭2‬ 口語訳‬


(3)主の幕屋、ヘブライ語でミシュカン・ヤハウエ (レビ記17:4等)「それを会見の幕屋の入口に携えてきて主の幕屋の前で、供え物として主にささげないならば、その人は血を流した者とみなされる。彼は血を流したゆえ、その民のうちから断たれるであろう。」

‭‭レビ記‬ ‭17‬:‭4‬ 口語訳‬


(4)あかしの幕屋、ヘブライ語でミシュカン・ハーエードゥース(出エジプト記38:21等)

「幕屋、すなわちあかしの幕屋に用いた物の総計は次のとおりである。すなわちモーセの命に従い、祭司アロンの子イタマルがレビびとを用いて量ったものである。」

‭‭出エジプト記‬ ‭38‬:‭21‬ 口語訳‬

 ヘブライ語でエードゥースは,「あかし」「十のことば(十戒)」という意味であり、あかし(十のことば)の石の板の入った箱(契約の箱)がその中に安置されていることから,この呼び名が起こりました。 

ギリシャ語でへー・スケーネー・トゥー

・マルテュリウー(使徒言行録7:44)

「わたしたちの先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。」

‭‭使徒行伝‬ ‭7‬:‭44‬ 口語訳‬

 

(5)会見の天幕.

ヘブライ語でオーヘル・モーエードゥ(出エジプト記27:21等)

「アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変らざる定めでなければならない。」

‭‭出エジプト記‬ ‭27‬:‭21‬ 口語訳‬

 ヘブライ語でオーヘルは,「テント」「天幕」の意味をもつ(創世記13:3)

「彼はネゲブから旅路を進めてベテルに向かい、ベテルとアイの間の、さきに天幕を張った所に行った。」

‭‭創世記‬ ‭13‬:‭3‬ 口語訳‬

 

のこと、

ヘブライ語でモーエードゥの動詞(ロヤーアドゥ)の意味は「定める」「約束する」であることから,主とお会いするための「定められた場所」のことの意味もあるようです。「その所でわたしはあなたがたに会い,その所であなたと語る。その所でわたしはイスラエル人に会う」(出29:42-43)


「これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、あなたと語るであろう。 また、その所でわたしはイスラエルの人々に会うであろう。幕屋はわたしの栄光によって聖別されるであろう。」

‭‭出エジプト記‬ ‭29‬:‭42‬-‭43‬ 口語訳‬

 

(6)会見の天幕である幕屋、ヘブライ語でミシュカン・オーヘル・モーエードゥ(出39:32等)

 

「こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。」

‭‭出エジプト記‬ ‭39‬:‭32‬ 口語訳‬

 

これは,(2)+(5)の形である。

 


(7)あかしの天幕 ヘブライ語でオーヘル・ハーエードゥス(民9:15等)


「幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。それはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。」

‭‭民数記‬ ‭9‬:‭15‬ 口語訳‬

 

(8)主の聖所、ヘブライ語でミクダシュ・ヤハウェ(民19:20)

 

「しかし、汚れて身を清めない人は主の聖所を汚す者で、その人は会衆のうちから断たれなければならない。汚れを清める水がその身に注ぎかけられないゆえ、その人は汚れているからである。」

‭‭民数記‬ ‭19‬:‭20‬ 口語訳‬

 


(9) 神の宮、ヘブライ語でベース・ハーエローヒーム(士師記18:31)


 「神の家がシロにあったあいだ、常に彼らはミカが造ったその刻んだ像を飾って置いた。」

‭‭士師記‬ ‭18‬:‭31‬ 口語訳‬


カナン定着後,幕屋はヨシュアによってシロに建てられたが(ヨシ18:1)


「そこでイスラエルの人々の全会衆は、その地を征服したので、シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。」

‭‭ヨシュア記‬ ‭18‬:‭1‬ 口語訳‬


それ以来,「宮」と呼ばれることもあった。

ヘブライ語でベースは,本来は「家」という意味である。

 

(10)主の家、ヘブライ語でベース・ヤハウェ(出34:26)


「あなたの土地の初穂の最も良いものを、あなたの神、主の家に携えてこなければならない。あなたは子やぎをその母の乳で煮てはならない」。」

‭‭出エジプト記‬ ‭34‬:‭26‬ 口語訳‬


「主の宮」(1サム1:7、


「こうして年は暮れ、年は明けたが、ハンナが主の宮に上るごとに、ペニンナは彼女を悩ましたので、ハンナは泣いて食べることもしなかった。」

‭‭サムエル記上‬ ‭1‬:‭7‬ 口語訳‬


 シロでのこと)とも訳されています。


(11)主の宮、ヘブライ語でへーカル・ヤハウェ(Iサム1:9)


「シロで彼らが飲み食いしたのち、ハンナは立ちあがった。その時、祭司エリは主の神殿の柱のかたわらの座にすわっていた。」

‭‭サムエル記上‬ ‭1‬:‭9‬ 口語訳‬

 

(12)地上の聖所、ヘブライ語でト・ハギオン・コスミコン (ヘブ9:1)

 

「さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭9‬:‭1‬ 口語訳‬


こういった、たくさんの呼ばれ方をしました。

 

幕屋の作成に関連する指示は次のとおり「出エジプト記」25-30章に書かれています。


契約の箱、および幕屋内で使用する備品(25章)

幕屋、聖所と至聖所とを区切る垂幕(26章)

犠牲を捧げる祭壇、中庭(27章)

祭司の職服(28章)

香を焚く祭壇(30章)

移動の際にはアロンの家系の祭司たちが解体し、レビ族が運搬の任に当たりました。(民数記 4章)。


中身がこうなっています。

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だいたいのイメージです。


こういった模型がアムステルダムの博物館に

展示されているみたいです。

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1975 Diccionario Ilustrado de la Bibliaの辞書より


幕屋は神様と話す場所、会える場所

罪を許されるための捧げ物をする場所として

つくられました。


 大祭司は年に1度,大いなる購いの日に,自分と自分の家族、そしてイスラエルの民のために至聖所へ入って購いの儀式を行いました。その身に水を浴び、亜麻布の聖なる装束(長服、ももひき、飾り帯、かぶり物)で全身を覆うようにした後,いけにえの動物をほふり、その血をとり、炭火と香を手にして,垂れ幕の内側(至聖所)へ入った。その香を火にくべ,その雲(煙)が「購いのふた」を覆う時、いけにえの動物の血を,指で「購いのふた」の東側に,また7

たび「贖いのふた」の前に振りかけたのでした。(レビ16章).これは,イエス・キリストの十字架の贖いのみわざを予表しています。

 「キリストは,すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば,この造られた物とは違った,さらに偉大な,さらに完全な幕屋を通り、また,やぎと子牛との血によってではなく,ご自分の血によって,ただ1度、まことの聖所に入り、永遠の購いを成し遂げられたのです。」(ヘブ9:11-12).

「キリストは、ただ1度,今の世の終わりに,ご自身をいけにえとして罪を取り除くために,来られたのです」(ヘブ9:26)


幕屋と神殿の違い


幕屋は一つの場所ではなく、ダビデにとっては

神様にはもっと素晴らしい所を与えたいという

気持ちがありました。


神様の答え

「「行ってわたしのしもべダビデに告げよ、『主はこう言われる、わたしの住む家を建ててはならない。」

‭‭歴代誌上‬ ‭17‬:‭4‬ 口語訳‬


神様の理由


「すなわちダビデはソロモンに言った、「わが子よ、わたしはわが神、主の名のために家を建てようと志していた。 ところが主の言葉がわたしに臨んで言われた、『おまえは多くの血を流し、大いなる戦争をした。おまえはわたしの前で多くの血を地に流したから、わが名のために家を建ててはならない。 見よ、男の子がおまえに生れる。彼は平和の人である。わたしは彼に平安を与えて、周囲のもろもろの敵に煩わされないようにしよう。彼の名はソロモンと呼ばれ、彼の世にわたしはイスラエルに平安と静穏とを与える。 彼はわが名のために家を建てるであろう。彼はわが子となり、わたしは彼の父となる。わたしは彼の王位をながくイスラエルの上に堅くするであろう』。」

‭‭歴代誌上‬ ‭22‬:‭7‬-‭10‬ 口語訳‬


神様の家は平和で争いの場所であってはならなかった。祈りの家にしたかったのです。

だから、


「また主に連なり、主に仕え、 主の名を愛し、そのしもべとなり、 すべて安息日を守って、これを汚さず、 わが契約を堅く守る異邦人は―― わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、 わが祈の家のうちで楽しませる、 彼らの燔祭と犠牲とは、 わが祭壇の上に受けいれられる。 わが家はすべての民の 祈の家ととなえられるからである」。」

‭‭イザヤ書‬ ‭56‬:‭6‬-‭7‬ 口語訳‬


幕屋は祈りの家ではない点はあります。

中身でやる事は一緒です。神様の臨在、

ただ雲に満たされる時とは違っていました。

場所もすこしあり、


幕屋

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ソロモンの神殿

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エスの時代の神殿

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内容は似ているが、

神様がうちに住む目的が薄れていくように

思われる。

エス様はそれでも、罪への赦しの捧げ物を

守り、神殿を神の家とも呼んでいる

 

「するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。」

‭‭ルカによる福音書‬ ‭2‬:‭49‬ 口語訳‬


「はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭2‬:‭16‬ 口語訳‬


供え物も守っている


「イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭8‬:‭4‬ 口語訳‬


神様の臨在の雲については、

列王記上後、書かれているところがみかけません。

 

「祭司たちは雲のために立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。 そこでソロモンは言った、 「主は日を天に置かれた。 しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。 わたしはあなたのために高き家、 とこしえのみすまいを建てた」。」

‭‭列王記上‬ ‭8‬:‭11‬-‭13‬ 口語訳‬

 

もう少し調べたいと思います。


神様が雲で満たす事の幕屋との違いがあるように思います。

 


幕屋とキリストのつながり


「幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。 それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。 この幕屋というのは今の時代に対する比喩である。すなわち、供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、 永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。」

‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭9‬:‭7‬-‭15‬ 口語訳‬


つまり、私達は以前選ばれた人しか入れない

神様の臨在に子羊のように捧げられたイエス

のおかげで入れるようになり、捧げ物になった

エス様を通して、罪の赦しを得られただけではなく、祈りの家や宮であった神殿は、私達に住まわれた聖霊のおかげで(わたし達のうちに生きる事は神様の御心と目的であった。)私達の内が神様の宮になり、その臨在をいつでも、もつようになり、いつでも神様と会話をする事ができたのです。以前は特定の人としか会話を持てなかったことが誰でも神様を信じ、イエス様を受け入れるものがもてるようになったのです。


神様に感謝します。