テモテへの手紙とテトスへの手紙から教会指導者が何を学ぶことができるか
テモテへの手紙とテトスへの手紙から教会指導者が何を学ぶことができるか
これらの手紙には、私達がクリスチャンとしての役割である、マタイによる福音書28章19-20節
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。やペテロの第一の手紙2章9節
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。のように弟子を作るため、
誰しもがイエスの様に師のように教える立場であるのです。祭司の国、祭司と同じように、模範となるような生き方こそがイエスの生き方であり、イエス様も言っているように
マタイによる福音書5章20節
わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
私達は常に勉学に励んで、神様に従い、敬い、模範となる事が必要なのです。
エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。
そして、このテモテへの手紙で書かれているようになるように
テモテヘの第二の手紙2章15節
あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。
これらの手紙には、指導者への指導だけではなく、指導者も私達、クリスチャンの道のりであり、やがて目指す先だけではなく、指導者ではない神様に従う者達にも宛ててくれています。どんな方に対しても、若いものから老いたもの、やもめや人生の状況に対してでもです。
そして、教会のいろいろな問題にどう対応をしたらいいかも書かれています。
そして模範として、良き指導者として、手紙の最初と最後には、愛のこもった思いと祈り、そして励ましと祝福がきされています。
書いてある内容だけではなく、書き方にも指導者としての例を与えてくださる素晴らしい書達です。
「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。 だから、あなたは、わたしたちの主のあかしをすることや、わたしが主の囚人であることを、決して恥ずかしく思ってはならない。むしろ、神の力にささえられて、福音のために、わたしと苦しみを共にしてほしい。 神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、 そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。 わたしは、この福音のために立てられて、その宣教者、使徒、教師になった。 そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。 あなたは、キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって、わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい。 そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」
テモテへの第二の手紙 1:7-14 口語訳
私達には、体に与えられる苦しみはないかも知れません。与えられる方もいるかもしれません。しかし、それぞれ試練がない方はいません。神様は愛するものを鍛えますからです。
神様の豊かな恵と祝福がありますように!