eskerrikasko’s blog

のんびり生きましょう🩰

イエス様に従う事

エスに従う事を書くとなると、神様に従う事にもなり、聖書全体になってしまいます。

 私は文書にまとめる事、整える事が不得意で、いつも聖書の箇所ばかりを書いて、自分の

言葉がすくなります。何個かを新約聖書に絞り選びました。

 私の父が好きな話でよく使われるのが、

マタイ19章にある話です。

 

「すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。 イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。 この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭19‬:‭16‬-‭21‬ 口語訳‬


この青年はイエスに従う事ができませんでした。全てを捨ててイエス様に従う気持ちが足りませんでした。よくの方がかったのです。


 また父がよく従うにお話する箇所はこのもう一の話です。


「道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。 彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。 またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。 イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。」

‭‭ルカによる福音書‬ ‭9‬:‭57‬-‭62‬ 口語訳‬

 

 それと共によくいう事は家族を愛する事が悪い事ではない。神様をイエスを第一にしているかどうかが問題だと教えます。


 長年、この話を聞いているので従うと聞くとどうしても、この話たちが頭に浮かんできます。


また、次の箇所もよく使います。

「それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭16‬:‭24‬ 口語訳‬


 私はこれらの箇所が分かりやすく、まとまって

説明していると思います。


細かく言えば、たくさんの教えがあります。


 この箇所もよく聞く箇所かと思います。

エスは、また人々に語ってこう言われた、「わたし

は世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭8‬:‭12‬ 口語訳‬

 

エス様に従うとどんな得があるかという話

かと思います。得というとあまり良い響きではないですが、悪い事ではないという事と言った

方が良いのでしょうか?

エス様の光、世の光に照らされ歩む事ができ

る。


またマタイ ‭10‬:‭5‬-‭42‬ では、イエスに従うものを使わす時のイエス様の指示があり、とても

参考になる点でもあると思います。


聖書の箇所を載せていますが、略すがすごく悩みましたが、あると読みやすいと思い、

載せておきました。


エスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。 病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。 どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。 その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。 もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。 もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。 あなたがたによく言っておく。さばきの日には、ソドム、ゴモラの地の方が、その町よりは耐えやすいであろう。 わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。 人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。 またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。 彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。 語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。 兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。 またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。 弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上の者ではない。 弟子がその師のようであり、僕がその主人のようであれば、それで十分である。もし家の主人がベルゼブルと言われるならば、その家の者どもはなおさら、どんなにか悪く言われることであろう。 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 そして家の者が、その人の敵となるであろう。 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。 預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。 わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」。」

‭‭マタイによる福音書‬ ‭10‬:‭5‬-‭42‬ 口語訳‬


さっきの聖書の箇所の続きです。イエスさまに

従う事は彼を受け入れ恥じる事なく、十字架を

背負う事であります。

「それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。」

‭‭マルコによる福音書‬ ‭8‬:‭34‬-‭38‬ 口語訳‬


「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。 もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭12‬:‭25‬-‭26‬ 口語訳‬


 また、イエスに従うという事は、イエスのように従順である事でもあります。

「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。 また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。 また、不品行といろいろな汚れや貪欲などを、聖徒にふさわしく、あなたがたの間では、口にすることさえしてはならない。 また、卑しい言葉と愚かな話やみだらな冗談を避けなさい。これらは、よろしくない事である。それよりは、むしろ感謝をささげなさい。 あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。 あなたがたは、だれにも不誠実な言葉でだまされてはいけない。これらのことから、神の怒りは不従順の子らに下るのである。 だから、彼らの仲間になってはいけない。 あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい―― 光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである―― 主に喜ばれるものがなんであるかを、わきまえ知りなさい。 実を結ばないやみのわざに加わらないで、むしろ、それを指摘してやりなさい。 彼らが隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。 しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。 明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、 「眠っている者よ、起きなさい。 死人のなかから、立ち上がりなさい。 そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。 そこで、あなたがたの歩きかたによく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。 だから、愚かな者にならないで、主の御旨がなんであるかを悟りなさい。 酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、 キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。」

‭‭エペソ人への手紙‬ ‭5‬:‭1‬-‭21‬ 口語訳‬


エス様に従う事は、神の子となり、彼に選ばれ、神様の民となる事でもあります。


「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。 愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。 異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。 あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、 あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。 善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。 自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。 すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。 僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。」

‭‭ペテロの第一の手紙‬ ‭2‬:‭9‬-‭25‬ 口語訳‬


エスさまに従うという事は良い行いをする事でもあります。

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」

‭‭エペソ人への手紙‬ ‭2‬:‭8‬-‭10‬ 口語訳‬


エス様に従うという事は、イエス様のように神様のみことばで口をいっぱいにし、彼の名を語るにふさわしい者となる事でもあります。


「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。」

‭‭コロサイ人への手紙‬ ‭3‬:‭16‬-‭17‬ 口語訳‬


「イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭8‬:‭31‬-‭32‬ 口語訳‬


そして、どうすればイエス様に従う者であり、

彼のうちであるかを判断される為には、神の彼の戒めである互いに愛しなさい。を行っているかによって判断をする事ができます。

「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭13‬:‭34‬-‭35‬ 口語訳‬


エスさまに従うという事は彼の内であるか、

彼に結ばれているのかでも見る事ができます。


「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。 もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。 わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。」

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭15‬:‭1‬-‭19‬ 口語訳‬


長くなりましたが、彼の御言葉に従って、

行っているかが、イエス様に従っていると

言えるでしょう。たくさんの教えがある中の

わずかでさらに、神様の御言葉ばかり

並べてしまい、すみません。言葉じたいが

語っています。

 

神様豊かな恵と祝福がありますように。